昔の禅僧は良き師匠を求め、世の中をさまよい歩き回っていました。その様子は行雲流水の如く(自然のまま・なりゆきに任せる様子)であり、そういった理由から今でも禅僧のことを雲水と呼んでいます。曹洞宗大本山・永平寺を開いた道元禅師様も正しき仏法・良き師匠を求めて、中国に渡っています。良き師匠に巡り合う事は、仏道修行における重要ポイントと言えるでしょう。
さて私の師匠との巡り合わせは、東陽寺29世住職である父が亡くなった平成元年になります。私はそれまで商社に勤めていました。そのため父は自分の死後を心配し、「自分の教え子である(学校の先生と生徒の関係であった)大龍寺様に話をしておいたから、自分の死後は助けを求めなさい」と遺言を残しました。私は父の遺言通り大龍寺様に助けを求めたところ、御老師様は私の修行指導者として安養寺住職様を紹介して下さいました。ありがたき御縁を頂いたと今でも感謝しています。
更に今度は私が大腸癌で余命いくばくもないと思われた頃、東陽寺現住職の指導者問題について再び大龍寺様に助けを求めました。結果、御老師様は長男である大龍寺現住職様を紹介して下さり、師弟関係を結ばせて頂きました。東陽寺は2代に続き、大龍寺様の御縁・導きによって良き師匠と巡り合うことができました。これほどありがたいことはありません。
最後に東陽寺にご尽力頂いた大龍寺老師様が昨年遷化されました。胸の詰まる思いです。「ありとあらゆる恩に感謝し、それに報いることを続けなさい」…老師様の遺偈(禅僧が亡くなる際に残す言葉)には、そんなメッセージが込められていたと私は感じました。ありがとうございます、老師様の教えを守り・引き継いていくことを心に誓います。